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オリンピックの思い出(東京オリンピック出場 菅原 貞敬)

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1. 出場したオリンピック名

  • 1964年  東京オリンピック
  • 2000年  シドニーオリンピック(ケニア女子チーム監督)

2. オリンピックでの忘れられない試合や思い出に残る「この勝負」

1964年、東京オリンピック3勝2敗で迎えた第6戦、相手は当時世界一のソ連

この試合に負けたら日本男子の火が消える、メダルも消える、世紀の一戦を死に物狂いで戦って勝ったこと。そしてその勢いでブラジル、ルーマニア、オランダに勝ち銅メダルに輝いたこと

※ソ連戦の観客は一体となって我々を応援してくださった。感謝‼

3. 忘れられないチームや選手

ソ連のセッター・モングロフスキー、キャプテン・エースのチェスノコフ、腕力世界No.1ボスコボインコフ。

外国の友人(選手)とはその時、その場で大切に付き合うこと、二度と会えない人もいる!

4. オリンピックの開会式、閉会式や選手村の生活などで感じたこと

開会式では世界各国の選手を目の前にし、ガタガタと武者震いをしていた思い出がよみがえる。

選手村、食堂では外国人選手との接触はほとんどなく、戦い一色であった閉会式では初めて世界・人類はひとつ!の意識が高まり平和が第一と思った。

5. 海外のチームや海外遠征でのエピソードなど

南米と共産国の選手との性格や明るさの違いを感じていた。

夜のブタペストでハンガリーの選手たちと飲み歩いたこと。肩を組んで歩いたことが思い出されて懐かしい。

仲良し友人Mr.トーワンはその後、フランスに亡命し、消息はないが生きていたら会いたい!

6. バレーボールで体験した嬉しかっとこと、楽しかったこと

努力が実ってプレーや技術が認められ、戦いに勝った時。

自分が指導した選手達が、人々に感動をもたらすプレーができた時。

オリンピックの代表に選ばれた時。また、オリンピック・世界選手権でコートに立てたこと。

7. バレーボールで体験した悔しかったこと、辛かったこと

成功の裏には辛かったこと、悔しかったことが楽しかったことの何百倍もある。

それを乗り切ることは辛いが、悔しいのは自分の努力が足りないと思う。

辛いことは楽しいことだと考えること。

8. あなたの人生にオリンピックの経験がもたらせたものとは

オリンピックに出場出来たのは、沢山の人たちのサポート、励まし、応援があったことを忘れず、周りの方々に受け入れられながら、いつ迄もバレーボールができることに感謝!

9. その他

オリンピック後、ジュニア男子、ユース、中学生選抜、実業団チーム、外国チームの監督を経験させていただき、先輩諸氏に感謝しております。

会員皆様のご活躍を楽しみに見ております。2020年が待ち遠しいです!

10. 幻のオリンピックとなったモスクワオリンピックに対する思いとは

残念ながら日本男子チームはアジア予選で敗退しているので出場出来なかった!

政治とオリンピックの関係は、人間の醜さを物語っていると思っている。

モスクワオリンピックを省みると人間とはおろかな動物であると感じてしまう。!自分が良ければいいとの考え方が、平和を損なってしまう!

11.現在の肩書き(2018年7月現在)

  • Ⅴリーグ女子 日立Rivale(リバーレ)の総監督
  • 茨城国体バレーボール競技のアドバイザー

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